私には特技があります。それは、草花や野菜や樹木と話が出来るということです。人に笑われるかもしれませんが、本当にそうなんです。
家からバス停まで歩く間に、近所の植木鉢に植えてある花や、ブロック塀に張り付いたコケや、マンホールのフタのくぼみに溜まった微量の土の上でたくましく生きている小さな草などに朝晩あいさつをしたり、人に気づかれないようにそっと手を振ったりしています。
すると草花は、ちゃんと言葉を返してくれて、手も振ってくれます。

週末は野菜づくりで、この時期は種を蒔いたり苗を植えたりしています。種を蒔く時も「ちゃんと芽を出してね。待ってるから。でも、ゆっくりで良いよ」と言いながら蒔くと10粒中ほぼ全部可愛い芽を出してくれます。

実家に帰った時は、樹齢100年くらいの大先輩の桜の木と話しをしています。子どもの頃お世話になったお礼や、お互いの近況を桜の木と語り合っています。とても楽しいです。

「そんなの気のせいだ」と言う人もいるかもしれませんが・・・・。何と言われても良いのです。私の中では本当なのですから。
心の持ち方一つで気持ちが大きく変わります。あの世に行ったら、なおさら、それがストレートに強烈に現象化します。今のうちから良き思いを持つ訓練が必要だと思います。思念が現実をつくるのですから。
毎日通る道があります。足元を見たらアスファルトの割れ目から小さな可愛い花が顔を出していました!「すごい!誰も種を蒔いていないのに、こんな厳しい環境の中で根を張って花を咲かせているんだ!」と思い、そのたくましさと、心を和ませてくれる名前も知らない花に、しばらく見とれていました。
自然界の植物の種は、風や小鳥たちが運んでくれて、種が落ちた所で根を張って自分の一生をまっとうします。種は、「この場所がいい」とか、「あそこで咲いて暮らしたい」とかの選択の自由はありません。自分の意志に関係なく、タンポポのように風にゆられ自然落下した所でしっかりと生き抜きます。

では、人間はどうでしょう。好きな場所に住んでいても、気に入らなければ引越しできます。好きな仕事をはじめても、思うようにいかなければ職場や職種を変えることができます。好きな人と一緒に暮らしていても、気まずくなったら離れることができます。

シルバーバーチは、「人間は皆、自分が生まれる国も場所も両親も、環境も、生まれる時期も自分の意志で選んで生まれてくる」と教えてくれています。

自分の自由意志で選択して生きることができるこの恵まれた人生を、自分の思い通りに行かないからと言って、「誰かのせいにしていないか?不満に思っていないか?文句を言っていないか?」時どき自問自答しています。
新緑が美しい季節になりました。ほぼ毎朝木の下に立って、風にゆれる若葉を見上げ、ゆっくり大きく深呼吸して、小さな幸せを感じています。

毎年この時期になると、ギターを弾きながら歌う歌があります。♫「柱のきずは おととしの 五月五日の せいくらべ  ちまきたべたべ にいさんが はかってくれた せいのたけ・・・・♩」(童謡:背くらべ)

数年に一度実家に帰ると、私はいつも一本の柱に目がいきます。そこには、幼いころ、父が毎年背丈を測ってくれた私たち三人兄妹の印と名前が黒のマジックで書いてあります。柱もだいぶ黒ずんで色あせてきていますが、とても懐かしい思い出の柱です。この時期、新緑の香りと、みずみずしい若葉を見ると、そのことを思い出します。

父が他界して今年で15年が経ちます。父は40代のころから死後の世界について書かれた本を熱心に読んでいました。
私がシルバーバーチの霊訓に出会ったのは、父が亡くなってから三年後でしたので伝えることはできませんでした。母には、帰った時に霊的真理について話してあげるようにしています。

真理を自らが正しく理解し、シルバーバーチの霊訓を一人でも多くの人に伝えていくことの必要性を強く感じています。

4月末、霊的刺激を受ける大変良い出来事がありました。この恩恵と感動をしっかりと今後の行動につなげたいと思い、その翌日、同志と臨時会合をひらき実践内容を確認し合いました。
私は音楽が好きで、中学生の頃からアコースティックギターの弾き語りをしたり、好きなミュージシャンの歌をよく聞いていました。
十代の頃、あるミュージシャンのライブの録音テープを聞いていた時、ボーカルの人がMCでこう言いました。
「 “ 優しい ” という漢字を思い浮かべてください。“ 人 ” の横に “ 憂(うれい) ” が立っているでしょう。心の中にいっぱい悲しみの有る人間、それが人にも優しくできるんです」と!

私は「そうか!」と思いました。あれから約40年の年月が経ちました。いま本当に心から「そうだな、悲しみ、苦しみ、痛み、辛さなど、多くの悲哀・困難・苦難を体験し乗り越えてきた経験が有ればあるほど、人の気持ちがよく分かるな」と思います。

苦しみを甘受し、正しく受け止め、正面から向き合い一つひとつを乗り越えていく。確かにその時は辛くて苦しいけれど、時が経てば「あぁ、あの時のあの苦労が有ったから今の自分が有るんだな、まだまだ未熟だけど少しは成長しているかも」と思えるように取り組んでいきたいです。
辛いことなどがあると、時間が経つのが遅く感じます。「でも、人生って一瞬なのかも」と、ふと思う時があります。100年たらずの一瞬の人生を、心を高めるために使っていきたいと思っています。
いくら良い話を聞いても、良い本を読んでも、単なる知識ではもったいないと思います。知った者としての責任を持ち、実践してこそ価値があります。

私のふるさと鹿児島には「島津いろは歌」というのがあります。日々をよりよく生きるために時々、壁に掛かった日めくりカレンダー「島津いろは歌」を読んでいます。その一部をご紹介します。
(以下、引用)
いにしへの 道を聞いても 唱(とな)えても 我が行いに せずは甲斐なし
「聖人や賢人の教えを学び、暗唱することができるほど記憶しても、それを自分の行動に反映させることができなければ価値はない」
先人からいかにすばらしい話を聞き、学んだところで、それらを理解しているだけではただの知識に過ぎません。
学んだことの本質を血とし肉となして、実行してこそ、その知識は価値あるものとなります。
つまり、人間としての道徳や知識は実践を伴わなければ意味がないということです。(以上、引用)

理解の深さは人によって様々です。心の奥底でしっかり理解して、その大切さを充分に認識した時に初めて人間は行動するのでしょう。自分は実践できているか?自問自答の日々です。

今日と明日は仕事で東京に出張です。問題山積ですが、今できることを身近なところから着実に実行していこうと思っています。簡単なようで難しいけれど、実践、また実践です。

きょうは、二十四節気の穀雨(こくう)です。雨のおかげで穀物はうるおい成長します。一つの方向からだけで見ると、雨の日は足元が濡れたり、洗濯物が乾きにくかったりしてマイナスの面だけを意識してしまいがちですが、多様な視点で見るとありがたい恵みの雨です。広い視野を持って人生を歩めるように努めたいものです。


家事や仕事をしていたら、いろいろ理不尽なことに遭遇します。
無理難題、朝令暮改、言行不一致、自己中心・・・・私たちは、このような他人の勝手気ままでコロコロ変わる言動などに振り回され疲れ果ててしまいます。
でもここで大事なのが、相手に腹を立ててしまうのか、それとも一息入れて相手の成長を願うのかです。

人間は皆、大なり小なり未熟です。「なくて七癖(ななくせ)、あって四十八癖」の言葉通り、人は多かれ少なかれ、癖を持っています。誰でも欠点があります。その短所を克服するために生まれてきて、人生の荒波の中で葛藤しながら成長への道を一歩ずつ進んでいます。同時に、自分の長所を誰かのために役立てる生き方をしています。

私は相手の言動で辛い思いをしそうになった時は、深呼吸と体操をして、「人のふり見て我がふり直せ」と自分に言い聞かせています。なかなか難しいけど実践あるのみです。
今から40年ほど前の私が小学生だったころの話です。
私は鹿児島県霧島市で、両親が日用品や食料品などを販売するお店の長男として生まれ育ちました。
小さな田舎町ですので、お店と言ってもこじんまりとした規模で、住まいと店が障子一枚で仕切られた店舗住居一体型の家で、お客さんの話し声はとてもよく聞こえていました。
夕方は買い物客で賑わっていましたが、それ以外の時間帯はのんびりとした雰囲気で、買い物に来たお客さんと母は、イスに座ってよく世間話などをしていました。

ある日、買い物を終えた1人の女性客と母が話をしていました。でもいつも聞こえてくる世間話の雰囲気と違って何か深刻なことを話しているのが子どもだった私にも分かりました。その人は小さな声で、泣きながら「辛くてたまらない、何でこんなに目に合うんだろう、何でこんなに苦しいんだろう」、そんな内容のことを1時間くらいかけて話していました。
母は涙声で時々相づちをうちながらずっと聞いていました。そしてその人に母は「人間は生まれる前から、自分でどんな人生をたどるか承知の上で生まれてきてるんやで、だから気持ちをしっかり持って前向きに頑張りや大丈夫やから・・・・」と励ましていました。
私はその人が帰ってから母に「さっきの、承知の上で生まれてくるって話は本当?」と聞いたら、「うん、本当やで、おばあちゃんが、そう教えてくれた」と言いました。

私はその後何十年もその事を忘れていました。そして10年ほど前シルバーバーチの霊訓と出会い、「人間は霊的成長をするためにこの地上に来ている。自分の課題を克服するために最もふさわしい環境と身体を自らの意志で選んで再生してきている。類魂を代表して類魂全体の進化向上のために、そして自分のカルマを解消し、霊的成長を遂げるために自ら願い出てこの地上に来ている」そんな内容を読んだ時に、忘れかけていた心の奥底にあるものが少しずつ、確実によみがえってきました。

そして今、その事をしっかりと胸に刻んで、この肉体が朽ち果てるその日まで、そのギリギリの瞬間まで、自分の意志で選んだこの道をしっかりと上を向いて歩いて行こうと・・・・すぐに忘れてしまう自分に何度も、何度も、言い聞かせています。
桜の季節がやってきました。パッと咲いてパッと散るその見事さと儚さから、よく人生に例えられることがあります。

根を伸ばして、養分をしっかり蓄えてきたからこそ、このタイミングで見事な花を咲かせることができるのだと思います。

私たちも日々の地道な努力を重ねることで、ここぞと言う時に誰かの役に立てたり、人に感動や勇気を与えることができるのでしょう。

「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根をのばせ、やがて大きな花が咲く」の言葉通り、今できること、すべきこと、今しかできないことをコツコツ見えないところで継続していくことが大事なんだろうと思っています。
たとえ大きな花を咲かせることができなくても、身の丈に合った花でいい、ひょっとしたら、つぼみのままで終わるかもしれないけれど、その努力はきっと報われると信じています。

自分で自分に嘘はつけません。誰も見ていなくてもいいのです。誰からも褒められなくてもいいのです。自分で自分を評価する日が必ず来るのですから。
最善を尽くしましょう。
なぜそれを始めるのか?
なぜそれをやり続けるのか?
なぜそれをやめるのか?

何かをやろうと決めてやり始めたら、とことんやり続けたほうがいいと思います。途中で色々な困難や障害が発生しても臨機応変に対応し工夫し継続することで得られるもの、見えてくるものがあります。
しかし、何が何でもやり通す意味があるのか、一度立ち止まって見直すべき時なのかもと思う時もあります。

私たちは日常生活で小さな判断や、時には人生を左右するような大きな判断をしなければならないことがあります。信頼できる人に相談するのも一つの方法でしょう。座右の書に答を求めるのも一つの方法でしょう。しかし最終的に決断するのは自分です。その時大事なことは、1.動機は善か?(利他的か。世のため人のために役立つか)。2.自分の本心か?(自分には決してウソはつけません)。で考えると、一時的には不運を忍ばねばならない時もあるかもしれませんが、最終的には必ずうまく収まります。

もうすぐ4月。新年度の始まりです。自分の使命を自覚し、限りある人生をしっかり取捨選択しながら集中していきましょう。
1月いく、2月にげる、3月さる、と言う通り飛ぶように時間が過ぎて行きます。

私が小学生のとき先生がこう言いました。「今手を洗った川の水と同じ水で二度と手は洗えない。人生は本当に一瞬なんだよ。二度と同じ時間は返ってこないんだよ」と!
私はその言葉にハッとして、通学路の横を流れる小川の水が鮮明に思い浮かび「そうか!確かに、同じ川の水は二度と戻ってこないな」と思い、帰りに小川で足を止めてしばらく流れを見ていました。あれから40数年が経ちました。「光陰、矢の如し」です!

3月21日は春分の日。暑さ寒さも彼岸まで。きょうは冷たい雨が降っていますが、ひと雨ごとに暖かくなってくることでしょう。気持ちのいい季節になりました。
外に出て深呼吸をして、野良(のら)仕事で汗をかき、新鮮な野菜を食べて、自分の好きなこと・得意なことを世の中を少しでも良くするためにコツコツやり続ける。
野良仕事とは、野を良くするために天に仕(つか)える事。

一度だけの人生を誰かのために、世界のために、自分の心の成長のために、いま目の前にいる人のために役立てていきたいと考えています。