年末年始に2019年の「やる事」「やらない事」を整理しました。が、しかし、1月の初旬にいろいろな事が重なり、この一週間ずっと見直しをしていました。

はじめは、立てたばかりの計画を変更するのに抵抗を感じましたが、「一年のスタートの月に、しかも初旬に、根本から問い直すいい機会をいただけた、ありがたい」と思うようになり、今は感謝しています。これをきっかけに、残りの人生をより充実したものにしていこうと決意を新たにしています。

即実行に移す予定です。周りからの賛否もあると思います。賛は少なく、否が多いかもしれません。しかし、「人の目を気にして生きるより、天の目を意識して生きよう。たとえ残りの人生が孤独でも・・・。」その思いが強くなってきました。

『人のために役立つことをする者に呑ん気なバラ色の人生は望めません。美しいバラにもトゲがあります。霊的な精進の道は厳しい試練の連続です。進むにつれて見慣れた標識が遠のいていきます。』SB。

見慣れたひと、もの、ことを、ひとつづつ手放していく。人間的な寂しさを乗り越えて、手放していく。次のステージに向けて身軽にしていく。そこで新たな出会いが生まれ、絆を深め、心を刺激して高め合いともに成長する。そのステージで役目を終えたら、また見慣れた標識が遠のいていく。この連続。これが永遠の進化・向上。永遠の魂の成長なのでしょう。

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与え与えられるのが、この世の理法である。すなわち、自分の持てるものを他に与えることによって、それにふさわしいものを他から受けるのである。これで世の中は成り立っている。

だから、多く受けたいと思えば多く与えればよいのであって、充分に与えもしないで、多く受けたいと思うのが、虫のいい考えというもので、こんな人ばかりだと、世の中は繁栄しない。

与えるというのは、わかりやすくいえば、サービスするということである。自分の持っているもので、世の中の人びとに精いっぱいのサービスをすることである。頭のいい人は頭で、力のある人は力で、腕のいい人は腕で、優しい人は優しさで、そして学者は学問で、商人は商売で・・・。

どんな人にでも、探し出してくれば、その人だけに与えられている尊い天分というものがある。その天分で、世の中にサービスをすればよいのである。サービスのいい社会は、みんなが多く与え合っている社会で、だからみんなが身も心もゆたかになる。

おたがいに繁栄の社会を生み出すために、自分の持てるもので、精いっぱいのサービスをしあいたいものである。

出典:道をひらく(松下幸之助著)p.60  サービスする心
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見返りを求めず、自然な形で、無私の心をもって、自分にできることをコツコツやっていく。いつの日か人生を振り返った時に、「アッ!自分がやってきたコレがサービス(利他)というものだったのか!」と気づけるようなサービス(利他)を、気負わず、力まず継続していけますように。

平凡すぎて天分とか、天与の才というようなものは持ち合わせていないかもしれないけれど、私たち一人一人は、かけがえのない人間です。探せばきっと自分を世に活かす道・事がみつかると思っています。

周りの人びとのために、あなたにも私にも、今すぐにできることがあります。

それは「笑顔」です。笑顔になるのにお金も、時間もいりません。心の持ち方、考え方ひとつです。笑顔は周りの人々の心をなごませてくれます。
誰にでもできる小さな利他。簡単そうだけど、実はなかなか難しい利他 =「笑顔」。おたがいに意識して継続に努めたいものです。今のその顔(表情)を、そっと鏡にうつして見てみましょう。曇っていませんか?笑顔ですか?一時間おきぐらいに自分に問いかけてみましょう。

苦しみや困難は、心を成長させてくれる肥やしです。今年も「笑顔」でいきましょう(^_^)
新年あけましておめでとうございます。

元日の早朝から静寂の中で、瞑想をして祈りを捧げ心を落ち着けて霊訓を読み、このブログを書ける事を幸せに思っています。

私は年末年始どこかに出かけたり何か特別な事をするわけではありませんが、いつもと同じ一汁三菜の食事と、軽めの断食をして、静かな部屋で真理の学習に専念できる事に何よりの喜びを感じています。

年末は筋トレ、水泳、ヨーガ、サウナ、真理や仕事関係の学習などをしたり、家の掃除を少しだけしました。
本棚にギュウギュウ詰めだった本を思い切ってバッサリ処分しました。二十数年前30歳になった頃から生き方・考え方を求めて、いろいろな本を買い求め読みあさったモノが溜まっていました。
幅90cm、高さ約2m、6段の本棚は、それでもまだ前後並列置きの段が一部にはありますが、ほぼスッキリしました。

残った本のジャンルは、真理、健康、音楽、コミュニケーション(伝え方、書き方、話し方)、野菜づくり、専門書(仕事:法務・登記・測量関係)などです。

2019年の私の目標は3つです。
1.早寝早起(夜10時に寝て、朝4時起床)
大切な事だけに時間を使う。

2.アウトプットの機会をつくる(自分を優しく追い込む)
例えば、仕事関連資格の取得、真理を伝える場など。

3.心身を清く気高く!
シンプル&ナチュラルなココロとカラダをつくる、などです。

あなたの今年の目標は何でしょうか?「やる事」「やらない事」を整理して、有意義な一年に、一生になりますように。
今年もよろしくお願い致します。
今年もアッ!という間の一年でした。年を重ねるごとに年々そのスピードが速くなっているように感じます。

死ぬ間際に、人生を振り返る時もきっと、「一瞬の人生だったな!」と思うのかもしれません。やり残した事がないように、悔いを残す事がないように、これからも一日一日を摂理に合わせて生きられるように努めてまいります。

この地球上から戦争・紛争、貧困・飢餓、精神の堕落・退廃、動物虐待・環境破壊、偏狭的な思想に覆われた頑なな心などが一掃され、真の平和が訪れるのには長い年月を要します。その時期の長短は私たち一人一人の取り組み方にかかっています。

今後も忍耐を持って実践に努め、地味で目立たない努力をコツコツ積み重ねてまいります。誰も見ていなくてもいいのです。誰も褒めてくれなくてもいいのです。人と比べなくていいのです。自分なりに最善を尽くせば。

自分で自分に嘘はつけません。神さまも自分も全てを知っています。いつの日かあの世へ帰って地上人生を振り返り自分で自分を評価する時に、「未熟なところもいっぱいあったけど、全力でやりきった!ベストを尽くした」と思えるように、これからも自分を律して、質素に清らかに謙虚に、思いやりの心を持って穏やかに、ゆっくり早く焦らずに歩いていきます。

今年の2月から毎週一回(金曜日)のペースで始めたこのブログも、一度も休むことなくお陰様でNo.42まできました。読んでくださる方の心に良い刺激となっていたらいいのですが・・・。

来年はさらに徹底した真理の学習と実践に努め、真理一筋に書き綴ってまいります。日常生活と霊的真理を結び付けて実践で活かせるように、身近な話題と法則(摂理)を関連付けて書いていこうと思っています。
2019年の「真実一路」も、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
41回目のブログ。
2018年の立春(2月)から書き始めたこのブログは、きょうで41回目になります。

日常のできごと、感じたこと、考えたことをそのまま書いています。(毎週1回金曜日  更新)
読んでくださる方の心を少しでも鼓舞できたらと思っています。

人間には喜怒哀楽があります。体調がすぐれない時もあります。仕事、家庭、お金、人間関係、健康のことなどで心が揺れて波立ち曇る時もあります。
毎週、心身の状態を整えて、心をできるだけ高め、心の湖面を安定させ落ち着いた穏やかな気持ちでブログを書くことの難しさを感じています。

「まだまだ修行が足りないな」と、自分の未熟さを痛感することも多々あります。

身の回りのこと、目の前のことに一喜一憂せず、永遠の広い視野をもって歩いて行けますように。
強靭な精神力と図太さを身につけ、必要な時には燃えるような凄まじい闘魂で事にあたり、またある時には、道端に咲く草花に目を向け、顔を近づけ語りかける余裕と、他人の痛みを感じ取る細やかで温かい心と。
この両方をあわせ持って生きていけますように。

今年もあと少し。疲れない程度に少しだけ掃除をして、来年の「やる事」「やらない事」を整理しようと思っています。
日めくりカレンダーに書いてある言葉を、時々じっくり読んでいます。
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道にただ
身をは捨てむと
思ひとれ

かならず天の
たすけあるべし

「自分が信じる正しい道を命を捨てる覚悟で進め。そうすれば必ず天の助けがあるはずだ」

これ以外に自分が生きる道はないと思い定めて、必死になって努力すれば、やがて天もその人を助けざるをえない状況になるといいます。天の助けとは、努力の結果周囲が見えるようになり、能力が研ぎすまされ、その時々における最適な判断が行えるようになって信じられないほどの成果を生むことをさします。(日めくりカレンダー 島津いろは歌より)

島津いろは歌とは、島津家中興の祖と称せられる島津忠良(日新公・じっしんこう)が島津家統一を果たした天文十四年(1545年)頃に、戦を通じて学んだことやそれまでの人生経験、そこから得た知識、知恵を歌に託して詠んだものです。人としての道、人の上に立つものの心得をはじめとする日新公の教えは後の島津家の「郷中(ごじゅう)教育」にもその精神が受け継がれ、西郷隆盛や大久保利通といった明治維新の志士たちにも大きな影響を与えました。
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「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。

人間として全力を尽くし努力をしたら、あとの結果は天にお任せしましょう。天の導きに委ねましょう。人として出来るかぎりのことを精一杯やったら、あとのことは気にしない。先のことをあれこれ考えない。取り越し苦労をしない。

私たちに出来ることは、今を一生懸命に生きること。今この瞬間に意識をしっかり注ぐこと。朝目がさめてパッと仕事のことが頭に浮かんだり、人間関係のことが浮かんだり、クレーム処理のことで気が重くなったり・・・・いろいろなことが次から次へと出てくることがあります。
でも、自分に出来ること、しなければならないことは、気力を振り絞って今日の午前をしっかり生きること。
それが出来たら、お昼ご飯をよく噛んでちゃんと食事をとること。
午後も気合を入れて夕方までしっかり務めを果たせるように力と意識を注ぐこと。
そこまで出来たら早めの帰宅を心がけ、寝る前に今日一日を振り返り、内省と感謝の気持ちを整理して、天に語りかけ、明日のことは考えず、早めにねむること。休養に努めること。

先のことをあれこれ考えない。無心、無欲で生きる。その繰り返し。振り返ってみるとアッという間の一年!アッという間の50年!アッという間の一生なのかもしれません。

人生の秘訣は、今を大切に生きること。笑顔で。
「たましいの いらん もんじゃ」=(魂の 入らん もんじゃ)
私は子どものころ、親からこう言われてよく叱られていました。

この意味は、魂に入(はい)り込んでいない。親や他人からの忠告をしっかり魂(心)に刻めず、教訓にできず、同じような失敗を繰り返している、という意味です。

最近いろいろなことが重なって、ふとこの言葉を思い出し、自分に言い聞かせています。苦い体験や痛い想いなどを肥やしにして、以後同じ事は二度とすまい(反省)。

私の生まれ育った鹿児島(霧島)の一部の地域?では、他にこんな言葉があります。
「いっ だましを いれ」=(生きた 魂を 入れなさい)
これは、気合を入れなさい。生気あふれる魂(心)で前向きに物事に取り組みなさい、という意味です。

子どものころ、「いっ だましを いれ」「たましいの いらん もんじゃ」この二つの言葉を繰り返し言われて育ちました。最近は誰も言ってくれないので、スマホにこの言葉を入力して隔週で自動的にメッセージが自分に届くように設定しています。

はつらつとした魂(心)で人生を歩いていきましょう。魂(心)を込めて、意識を集中して一つ一つ丁寧に、誠実に取り組んでいきましょう。困難や苦難に遭遇している人のために自分を役立て、魂(心)を磨き上げていきましょう。
学んだことを誰かに伝える。手渡す。得たものを私物化しない。共有する。

自分の知識や経験を人に分かりやすく、言葉、文字、図、事例などを交えて簡潔に説明するためにしっかり準備をする。
なかなか大変だけど、ギリギリまでベストを尽くす。人前で3時間しゃべろうと思えば、リハーサルも含めると、その10倍の30時間くらいの準備が必要だと考えています。

数年前に東京で、ある企業様の「全国宅地建物取引実務者研修会」に微力ながらも講師として招かれ、「土地境界の調査・測量・登記の実務」についてお話しさせていただきました。

新人からベテラン社員までがいる中で、相手に分かりやすく、実務に役立つ話しをするのは、なかなか難しいなと感じました。事前準備や本番当日も含めて一番勉強になったのは、自分だったような気がします。

今年の9月から、新しいことを始めました。最近は仕事以外の時間のほぼ全てを、その準備に費やしています。
人生の全てをかけて打ち込める、やりがいのある大切なことに出会えて感謝しています。

道具意識に立って、時期のきた人に手渡していきたい、種蒔きに徹したい、そう考えています。
伝道の準備(自分の日常生活を摂理にそわせる努力)と伝道実践に努めてまいります。
昨日は、二十四節気の小雪(しょうせつ)でした。大阪も冷え込んできました。

近所の桜並木の葉っぱが紅葉して地面に落ち、残りの葉が必死に枝にぶら下がっていますが、寒風が吹くたびにヒラヒラと舞い落ちています。まるで我慢くらべをしていた子どもたちが、鉄棒から手を離すような感じで散っていきます!その葉を目で追いながら、心の中で「お疲れさま。また来年も戻ってきてね」と語りかけ、「木の葉1枚落ちるのも神様は、ちゃんと分かっているんだなあ!」と感嘆しながら眺めています。

路面は紅葉のじゅうたんのようです!落ち葉を踏んだ時の、かすかな音と靴の裏の感触を楽しみながら、その区間だけはゆっくりと歩いています。
しばらくこの景色を楽しんで、落ち葉がゆっくり分解されて土に戻り、桜の根に養分として吸収され、また来春きれいな花を咲かせてくれる、その循環を楽しみたいと思っています。

しかし現実は、そうはいきません。何年か前に木の周辺の一部にアスファルト舗装がされました。葉っぱは土に戻ることができません。なので、初冬になると毎朝ご年配の男性2、3人が竹ぼうきで掃除。

舗装のおかげで、砂ぼこりや雨天時のぬかるみは解消しました。が、掃除の手間が増えました。でも、毎朝落ち葉を掃きながら会話の機会も増えているようです。落ち葉で焼き芋をしたらおいしそう!

アスファルトで地面に蓋をして少し残念ですが、これも時代の流れなのでしょう。常にプラスに考えましょう。

「先人木を植え、後人その下で憩う」(中国の格言)

誰かのために今、自分にできる小さなタネを蒔きましょう。1,000粒蒔いても、何粒芽を出してくれるか分かりませんが、結果を気にせずタネを蒔き続けましょう。いつか芽を出し花を咲かせるころには、もう自分はこの世にはいないかもしれませんが、信じた道をまっすぐに、決して焦らず、たゆまぬ努力を重ね、謙虚に、道具意識に徹し、愛と忍耐を持って実践に励みましょう。
できるだけ相手のことを知って、さりげなく利他愛の実践をしようと、あれこれ考え行動をしても役に立てない時があります。それどころか、裏目に出たり誤解されて関係が悪化することさえあります。

下記の言葉が、同じような経験を持つ人のお役に立てば幸いです。
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善(よ)かれと思って、はからったことが、善かれと思ったようにはならなくて、思いもかけぬ反対の結果を生み出すことが、しばしばある。思いが足りないのか、はからいが足りないのか、それにはいろいろ原因があるのだろうが、よくよく考えてみれば、やっぱりそこには、何らかの策を弄(ろう)したという跡が目にうつるのである。

善意の策も悪意の策も、策は所詮(しょせん)策にすぎない。悪意の策はもちろんいけないけれども、しかしたとえ善意に基づく策であっても、それが策を弄し、策に堕(だ)するかぎりは、悪意の策と同じくまた決して好ましい姿とは言えないであろう。つまり、何ごとにおいても策なしというのがいちばんいいのである。

無策の策といってしまえば平凡だけれども、策なしということの真意を正しく体得して、はからいを越え、思いを越えて、それを自然の姿でふるまいにあらわすには、それだけのいわば悟りと修練がいるのではなかろうか。

おたがいに事多き日々、思いもかけぬ悩みを悩む前に、時にはこの策なしの境地というものに思いをめぐらせ、心静かに反省してみたいと思うのである。
『道をひらく p.90 「善(よ)かれと思って」松下 幸之助』
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思いを越えて、あるがままの自然な姿で生きましょう。

この宇宙には愛という素晴らしい法則(摂理)があります。その摂理にそった考え、行動は、必ず良い結果に結びつきます。自分の日常を摂理に合わせる努力を通して私たちは成長するようになっています。

あの世もこの世も全部ひっくるめて見れば、完全な平等と公平が行き渡っていて、つじつまがピッタリ合います。
人間の心身の状態は一定ではありません。

体が重たい時や、頭痛、肩コリ、胃痛、腰痛、関節痛など、身体の痛みがおきる時があります。
心も身体的なことや外部のできごと、周囲の人からの影響などで沈んでしまうこともあります。

常に元気で穏やかに生きたいと思ってはいても、波があってなかなかそうはいきません。

そんな時、シルバーバーチの霊訓を読んで自分を鼓舞しています。
「いつも明るく楽天的で愉快な気分を忘れないようにしてください」
「人生は陽気さと快活さに満ちたものでなくてはいけません」
「悲観的になったりグチをこぼしてはいけません」
「霊的価値の高いものがそう簡単に達成されるはずがありません。なぜなら、それには霊的視野と焦点を常に誤らないようにするための強烈な精神的鍛錬を要するからです」

光と陰、健康と病気、喜びと悲しみ、謙虚と傲慢、明と暗、上と下・・・・入れ替わるのがこの世です。だから相手の気持ちが少しずつ分かるようになるのでしょう。両方を体験して辛酸をなめ、苦楽を通して成長できる。ありがたい、そう思わなければなりません。と自分に言い聞かせています。
人生100年!?まだ半分です。ファイト!
行き詰まった時や、他人と意見が異なる時、この本を読み直しています。

「--- 心の次元を高める ---
広中平祐先生は、数学の難問を解いて、フィールズ賞を受賞しました。彼はこれにあたり、次元を一つ高くすることによって、簡単に解いていったのです。その広中先生が、「複雑な現象というのは、単純な事実の投影に過ぎない」と言われています。

人間社会というのは複雑なもので、職場の人間関係、親戚との関係など、わずらわしく複雑怪奇なものと思えます。しかし、この人間模様、人生模様は、単純な事実の投影に過ぎないというのです。

たとえば、平面交差をしている交差点に、四方から車が入ってきますと、行き詰まってしまいますが、一つ次元を加えて立体交差だとすると、滞りなく車は通行します。つまり、3次元の影である2次元だけを見ていますと、車はぶつかっているように見えますが、それは3次元の立体であるのに、2次元の平面を見て、複雑怪奇だと嘆き苦しんでいるのです。

人生も人間模様も同様です。それは単純な事実の影におびえているに過ぎないのです。単純な事実とは、実は自分の心です。自分の心の投影が、複雑で困難な現象をつくり出してしまっているのです。

複雑な現象の中に、真実を見い出すには、自分の心の次元を一つ高めるしかありません。」
心を高める、経営を伸ばす
〜素晴らしい人生をおくるために〜
稲盛 和夫 著

自分の心のあり方が、現象をつくり出しています!より高く、より純粋に、よりシンプル & ナチュラルに努めましょう。体験のすべてを魂の進化向上に活かしましょう。